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070 Terremoto

この度の東北地方太平洋沖地震にて被災された方々にお見舞いを申し上げると共に、
1日でも早く復興されることを心より祈っております。
また、この状況の中通常通りに勤務され、
日本の経済を支えている皆さんに敬意の念を表したいと思います。


正直、今回何を書こうかとても迷いました。

今回の地震に関して色々と思うことがあるのですが、遠いイタリアの地から何を書いてもあくまで蚊帳の外からの意見であって、何の役にも立たないと思うので、通常通りの記事を書くことにしました。


今回は、去年もリバティ様式の記事で少し触れたヴィアレッジョのカーニバルについて。






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062 ボローニャ

先週の金曜日に、事務所のミーティングルーム用の椅子を購入しに、ボローニャ (Bologna) へ行ってきました。


フィレンツェからボローニャまで高速道路に乗って、北へ約1時間半強。

当日のフィレンツェの気温は14度、高速道路がアペニン山脈にさしかかる頃には零度近くまで下がり、ボローニャに着いても3、4度とそのまま上がらず。

距離は近いもののアペニン山脈以北はもう北イタリアだということを実感しました。


さて、ボローニャ郊外の工業地帯にある倉庫のようなところで椅子を購入したあと、街の散策をしてきました。


ボローニャと言えばポルティコ (portico) と呼ばれる『屋根つき柱廊』が有名で、雨の日でも濡れずに街を散策できることができます。

ということを話としては知っていましたし、実際自分の目でも見てはいたのですが、今回、街の旧城壁の外部にある病院の駐車場から中心部に向かうマッツィーニ通り (Via Mazzini) の500メートル近く途切れることなく続いているポルティコを見て、感嘆しました。






中心部に入る前に一旦ポルティコは分断されるものの、まだまだ続き・・・


サンタ・マリア・デイ・セルヴィ (Santa Maria dei Servi) 教会の脇を通り、


教会の前で柱廊が回廊になったりします。





途中で、いくつかの中世の木製のポルティコを目撃しつつ、第一の目的地へ到着。



ヴェネツィア出身の巨匠カルロ・スカルパ (Carlo Scarpa) のデザインした店舗。
詳しい内容は次回レポートしようと思います。



ボローニャには実は運河もあります。

これは、モリーネ運河 (Canale delle Moline)。
直訳すると水車小屋の運河で、その名の通り水車小屋の水車を動かす為に使われていたようです。


ちなみに上の写真は、『ピエッラ通りの窓』 (finestra di via Piella) と呼ばれる、この壁に開いた四角い窓から撮ったものです。

夏には運河をゴムボートで巡るツアーが行われたりするそうです。



ボローニャには塔の街でもあり、最盛期には180のもの塔が立ちならんでいたそうですが、現存する塔の数は20近くまで減ってしまっています。


ガリセンダの塔(左)とアジネッリの塔(右)。(Garisenda, Asinelli)
ピサの斜塔に負けないくらいの傾き具合。


プレンディパルテの塔 (Torre Prendiparte)。

この高さ60メートルある12世紀の塔、なんと現在はB&Bになっていて宿泊することができます。
部屋はスイートのみで一泊300ユーロから。

一般開放される日もあるようなので、12の階がどのように使われているのか一度は見てみたいものです。



第2の目的地であった無印良品に行ったあと、ふらっと入ったメディア・センターが凄かったです。



正式名称はサーラボルサ図書館 (Biblioteca Salaborsa)。2001年オープン。
建築的には特筆すべきことはないのですが、大きな吹き抜けの周りに設けられた、多目的に自由に出入りできる、ヨーロッパ的(!)な環境が素晴らしいです。

さすが、大学都市ボローニャ、生活の質が高い街として選ばれる理由がわかります。

盆地で土地が限られているフィレンツェと違って、周囲を広大な平野に囲まれたボローニャにはスケールの大きい空間が多くて、うらやましい限りです。


図書館の中には展示スペースもあって、磯崎新の新しいボローニャ駅のプロジェクトも展示されていました。


何だか伊東豊雄風だし、正直言ってこのプロジェクトってどうなの?と思います。

京都駅くらいの破壊力がありそうです・・・。

この穴とか特産品のモルタデッラ(ピスタチオ入り)でもイメージしてるのかな、と思ったりも。



書きたいことがありすぎて、支離滅裂になってしまいましたが、今回はこの辺で。
街中で撮った写真をいくつか紹介して終わりにしようと思います。



ボローニャには赤いものが多いです。
バスもシャッター代わりの窓の外のカーテンも赤ワイン色。



ボローニャは国際絵本見本市でも有名で、興味深い子供の為の本屋もいくつか見つけました。


街の中心でも生活の匂いで溢れています。


肉屋も沢山。
折角だから、モルダデッラを買ってくればよかった、と今更ながら後悔。




すっかりボローニャが気にいってしまったので、今後頻繁に話に出てくるかもしれません。

とりあえずは、街と郊外の丘の上にある『聖ルカの聖母の聖域』 (santuario della Madonna di San Luca) を結ぶ世界最長のポルティコをもう少し暖かくなってから歩いてみたいです。












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059 雪のフィレンツェ

先週の金曜日、フィレンツェは数十年に一度という大雪に見舞われました。

初めに粉雪が舞い始めてから積もりだすまでがあっという間で、降雪への下準備が出来ていなかったフィレンツェでは、公共交通機関から一般道路まで雪に足止めをされた車両で麻痺してしまいました。


事務所の窓から、降り始めの様子。


サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場。


デイ・セルヴィ通りからすでに白くなり始めたドゥオーモのクーポラを眺める。


ドゥオーモ広場。
職場を早退して帰路に着く人々と雪の風景を眺めに外に出た人で溢れかえっていました。


ポンテ・ヴェッキオ橋。


シニョーリア広場。ここらへんで、いよいよ本降り。


この後、一旦帰宅し、電車でヴィアレッジョの町へ行く予定だったのですが・・・
大雪のため多くの電車は運休、もしくは2時間以上の遅れが出ていたので、ヴィアレッジョ行きは延期することにしました。

この日の大雪の影響で数千人もの人がフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅で足止めをくらい、駅の脇にあるバッソ要塞で一夜を過ごしたとのことです。

それでも、それはまだマシな方で、電車や高速で動けなくなった自家用車の中で一晩過ごした人々もいたようです。



20時頃になると雪はほぼ止みました。
いつもの像が白い帽子とストールをつけていて全く別人のようです。




雪のせいで倉庫まで移動させることができず、そのままに放置されたサン・ロレンツォの屋台。


フィレンツェの外を環状に走る道路が麻痺してしまったせいか、街の中から自家用車からバス、パトカーに至るまで、完全にあらゆる自動車が消えていました。


夜の零時をまわったくらい。
雪に覆われたフィレンツェの街を見るためか、沢山の人が出歩いていました。



10年ぶりくらいに作った雪だるま。
・・・5分後には心ない若者のグループに破壊されてしまいました・・・。


このあと、サンタ・クローチェ広場で50人くらいの規模の雪合戦が繰り広げられている、という日本ではありえないであろう風景にでくわしました。



こんなに沢山の雪が降ったのに、フィレンツェの街中はすっかり元通りで、少しだけがっかりしています。

せめてクリスマスまでもって欲しかったな。





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058 フィレンツェのクリスマス・イルミネーション

今年は夏が8月末に突然終わってからずっと天気が悪く、早々と冬に突入してしまった気がします。
週末は大抵天気が悪く、たまに天気が良い日に限って仕事で室内にこもりっきりという感じでした。

先週末は久しぶりに晴れたので、クリスマスのイルミネーションの鑑賞がてらカメラを片手にフィレンツェの町を散歩してみました。


ドゥオーモ脇のクリスマスツリー。
去年まではなくて、広場が歩行者天国化されたからこそツリーも置けるようになったんですよね。
ツリーの赤い部分はフィレンツェの象徴のユリの紋章の形をしています。


家の前の通り。


店舗のイルミネーションの中ではここが一番目立っていたかな。


ストロッツィ宮の前を通る、フィレンツェのブランド通りの筒型のイルミネーション。


流れ星風のLEDのイルミネーション。
この青い色は目は引くけど、ちょっと寒々しい気がします。


カーテン型。


この絨毯状のイルミネーションが個人的には一番好きです。


ここにもユリの紋章が・・・!


シンプルだけど、沢山連なってるとそう悪くない。


・・・提灯かな?


ヴェッキオ宮殿の左脇にある、ビアンコーネと呼ばれるネプチューンの噴水もクリスマスモードなのか、下部分だけ微妙に緑色に。
同じ広場にあるロッジャ・ディ・ランツィ (Loggia di Lanzi) は微妙に赤くなっていました。


サン・ロレンツォ教会の脇に投影されていた天使。


今年のイルミネーションは例年よりも早く始まったし、ドゥオーモ広場のクリスマスツリーがあるせいか随分と華やかな気がしてたのですが、実際周って見てみるとそうでもないようです。


サンタ・クローチェ広場ではドイツのクリスマス市なるものが開かれているのですが、毎年同じ店が同じものを売っていて、しかもドイツともクリスマスとも関係ないようなものが売られていて、残念なことになってました。


余談)
本日12月14日に首相不信任案の投票があったのですが、3票差で否決、ベルルスコーニは危機を逃れました。
その結果ローマでデモをしていた若者達が暴徒化し、大変なことになっていました。
(右の矢印をクリック 

個人的には若者達を応援したい気持ちでいっぱいです。







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055 ナポリのゴミ問題

今回はイタリアの時事問題に関して。

今から3年前にナポリでゴミ収拾が滞り、街中がごみに埋もれて問題になった件が記憶に新しいですが、ここ数ヶ月で以前よりも悪化した状態で再発しています。

テレビや新聞などでその様子を見て驚かされるのが、全てのゴミが全く分類されずに(紙ごみでさえも)捨てられているということ、そしてそのゴミの山に人々がゴミを捨て続け、だれも自分達で解決しようとせずにイタリア政府を批判だけしていること、です。

イタリアでは基本的にゴミ焼却場は環境によくないとされているようで、全く分別されずにそのまま埋め立てられたゴミ埋立地の周辺では案の定、土壌汚染や悪臭が問題に。

今回のナポリのゴミ問題でも埋立地の周辺地域で、奇形のレモンができたり、ブドウ畑が実をなさなかったとかで、地域住民が抗議として埋立地までの道を占領し、警察と衝突している映像を何度も見ました。


さて、今回のナポリのゴミ問題のひとつが分類回収がされていない事であるのは明らかですが、ではイタリアの他の街ではどうなのか、ということを書いてみようと思います。


ミラノでは、大抵のアパートに中庭が存在していて、そこにゴミを収集する為の容器が設置されていて、いつでも好きな時に捨てることが出来ます。

毎朝のゴミ収集の時間になると、アパートの管理人がその容器を外に出し、ごみ収集車がそれを回収していくというシステムになっています。

分別の仕方もきちんと定義されていて、分別しないで捨てると管理人から抗議されるし、同じアパートの住人の目もあるので、ミラノでは分別回収は機能していると言えます。


今住んでいるフィレンツェの歴史的地区の家では、ごみは毎日19時半から20時半の間に家の前に捨てることになっています。分類は紙/ビン・カン・プラスチック/その他のゴミの3種類のみ。

僕の家の前の通りはオープンテラスのある飲食店が並んでいるので、ゴミが収拾されるまでの間はゴミに囲まれながら飲食することになり、衛生面は問題ないのだろうかといつも心配になります。

8月いっぱい過ごしたヴェネツェアでも同じようなシステムのようでした。


フィレンツェの歴史的地区外では、一定間隔ごとに路上に置かれているカッソネットと呼ばれる大きな容器に常時捨てることができます。

分類は同じく3種類ですが、”その他のゴミ”が実際は”分類されていないゴミ”とされていて、ということはどんなものでも捨てることができます・・・。



トスカーナの海沿いの町ヴィアレッジョでも、ゴミはカッソネットに直接捨てられます。

分別は、紙・ビン・カン・プラスチック・そしてその他の分類されていないゴミの4種類。

ただ、カッソネット周辺に分類されずに打ち捨てられたゴミを見かけることもあり、その犯人は環境意識の低いお年寄りが大半のようです。

こういうのを見ると、日本の町内会というシステムとかゴミゼロ運動とかの教育は必要なものなんだな、とあらためて思ったりします。



ルールは破るためにあるような国ですが、今回のゴミ問題に関してはそうも言っておられず、早急にその場凌ぎではない対応がされることを願っています。



ちなみに、バルセロナのカッソネットはこんな感じ↓でした。






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051 ネクロポリス

 前回のTufoつながりで、今回はトスカーナ州の南にあるソヴァーナ (Sovana)、ソラーノ (Sorano)、ピティリアーノ (Pitigliano) の3つの町を紹介します。


…とは言ってみたものの、実際に撮った写真を探してみると、街の写真はほとんど手元にありません。

なぜなら、この3つの町の地域を訪れた目的が、町そのものではなく、エトルリア人のネクロポリス (イタリア語だとネクロポリ=Neclopoli, 直訳すると死者の都、つまり墓地のことを表します) と、それらと要所を結ぶヴィア・カーヴェ (Via Cave) と呼ばれる道だったからです。


一つめの町、ソヴァーナの起源は西暦1000年頃に遡り、中世に発展した町です。


ソヴァーナの町の中心広場。
中心に見えるのは公文書館で、もちろんトゥーフォで出来ています。

人口が500人にも満たない小さい町で特筆すべきことはありませんが、
見るべきものは町から少し離れたところにある、エトルリア人の墓地群です。


セイレーンの墓 (Tomba di Sirena)


トゥーフォの加工のしやすさを利用して、洞窟のような墓地が形成されています。



この十字架は後から誰かが彫ったものでしょうか・・・?




蜂の巣状に掘られた壁面があちらこちらにあります。



そして、こちらがヴィア・カーヴェ。
名前はこの道が掘られて作られていることから来るものと思われます。

場所によっては人ひとりが通るのがやっとのところも。






二つ目の町、ソラーノはレンテ川沿いの斜面に作られた中世起源の町です。

ここにも今にも崩れ落ちそうな家があちこちに。


どれだけ急な斜面に立っているかこの写真でよくわかります。
この家は地震が来たらひとたまりもないと思う。





街の一番高いところにある、現在は博物館になっているオルシーニ家 (Orsini) の屋敷から町を見下ろしたところ。





3つ目のピティリアーノの町は、切り立った細長いトゥーフォの地盤の上に建っていて、独創的な姿をしています。
ローマ時代起源の人口4000人程の町ですが、シナゴーグがありユダヤ人のコミュニティも存在します。


遠景。


街の入り口の脇を通る水道橋。


夜景。

このピティリアーノの町は比較的大きいにも関わらず、少し時代に取り残されたような雰囲気があって、しっかり記憶に残っている場所です。


今回紹介した3つの町は、建物の構造のごつさとか粗野さが明らかにローマ寄りなのですが、それでもこの周辺はまだトスカーナ州という事が少し不思議に思われます。





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050 滅びゆく街

ローマの北西に位置するボルセナ湖の東に、滅びゆく街 (Città che muore) と呼ばれている場所があります。

そこを訪れたのはもう4年も前になるのですが、友人がそこを最近訪れたという話を聞いて、自分で撮った写真を掘り返してみました。


その滅びゆく街の名前は、チヴィタ・ディ・バニョレージョ (Civita di Bagnoregio)。

イタリアの典型的な鷹の巣状の本当に小さい村で、周辺の平野部分とかなりの高低差があるので、とても独創的な外見をしています。


車を少し離れた駐車場に停めて向かっているところ。
写真の奥に見えるのがそれです。


イタリアでも景観に関する規制などがなかった時代に作られたと思われる、情緒の全くない橋を渡ってアクセスします。



町の入り口の門。


町の中。


小さい割りに歴史はとても古い町なので、色々と興味深いディティールに出会えます。






さて、この町がなぜ滅びゆく町と呼ばれているのかというと、この町が他のエトルリア起源の町で良く見られるトゥーフォ (Tufo) と呼ばれる凝灰岩の地盤の上に建っていて、このトゥーフォというものが風化や浸食にとても弱く、現在でも端の方からすこしずつ侵食されていっているからです。


街の中の建物もトゥーフォで建てられていて、廃墟に植物が生い茂っていたりして、ラピュタを訪れたかのような気分に浸れます。



奥の裏門を抜けてみると・・・




側面を掘って作った礼拝所があったり。




この上に建っている家もあと10年もしたら崩れてしまうのかも・・・。




次回はこのチビタ・ディ・バニョレージョの近くにある、同じようにトゥーフォの上に建てられたエトルリア起源のいくつかの町を紹介しようと思います。




余談ですが、このチビタ・ディ・バニョレージョを訪れた際、近くにあるボマルツォ (Bomarzo) の怪物公園 (Parco dei Mostri) というところにも行ってみました。

こんなの↓があったりします。






何だか昔あった恐竜公園を思い出させる場所でしたが、一応19世紀のものです。




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